西田のオカンが亡くなった話

久しぶりに喪服を着る。
西田のオカンが亡くなったからだ。

西田は小学校3、4年のときに一番仲のいい友達だった。その頃から迷彩服を着ていたし、エアガンにハマってたし、足は早くないのにローラーブレードを履かせると誰も追いつくことが出来ない。西田はそんなクセの強い少年だった。

そんな西田と仲が良かったのは、幼稚園のときの英会話教室と、小学校のときの体操教室になぜか一緒に通ってたからだ。小5になってミニバスはじめてからはめっきり遊ばなくなってしまったが、それでも小学校3・4年の2年間は西田漬けの2年間だったと言える。そして同時に、西田家に入り浸る2年間でもあった。


そう。おれは西田のオカンにかなりお世話になった。まぁお世話になったゆーても3・4年のわけやから「大した世話」ではないんやけど、それでもいつも出してくれてた「ポテチに溶けるチーズ振りかけてチンしたお菓子」がすんごいうまかったんや。

あとはNINTENDO64をおれと西田でやってるときに、よくオカンも一緒に入って一緒にゲームしてくれてた。おれと西田と、ときどきオカン。それがおれが西田家に行った時のいつもの風景だった。

大人になってみて、当時を振り返って思う。たしかに「大した世話」ではなかったのかもしれない。でもおれの中ではたしかな楽しかった記憶として色濃く残ってる。

マンションの入口に落ちているピンクチラシ。
2DKくらいの狭めの間取り。
ギリギリ4人入れるリビング。
灰皿がいつも乗ってるテーブル。
塩っ辛いチーズのポテチ。
オカンがキッチンで吸うタバコの匂い。
ゲームが下手くそなオカン。

そして、そんな西田のオカンが、たまーーーーにゲームで勝ったときの「よっしゃぁぁぁ!」という喜びの雄たけび。

西田のオカンからすると息子の友達が毎日遊びに来てただけのよくある風景だっだやろうけど、おれにとっては西田ん家に遊びに行くことはどこか刺激的だったように思える。

そんな西田のオカンが肺がんで亡くなった。52歳の早い死だ。

葬儀場に幼馴染と一緒に車で向かう。葬儀場に着き、服を正して中に入っていく。エレベーターで2階に上がると開いたドアの前はすぐに葬儀会場だった。会場に入ってまず思ったことは、西田のオカンは「純子」というらしかった。

友達のオカンという存在は、一律「〇〇のおばちゃん」と呼んでたから名前を知らなくて当然なんやけど、その名前を見て、やっぱりなんか西田のオカンやなぁと感じた。

西田がいた。

表に出てこないオヤジの代わりに、喪主みたいに対応していた。他の人と話してたから西田に会釈だけして棺桶を覗き込む。お化粧されたきれいな顔に、整えられたきれいな髪。何十年ぶりかに会う西田のオカンがそこにいた。当時の面影そのままの。

 

 

涙が溢れた。

泣きたいわけでも、泣こうとしたわけでもなく、止めどなく涙が溢れた。
悲しかった。すごく悲しかった。感情が昂って、なぜか背筋まで伸びた。

シャンとした姿勢をとり、遺影の前で静かに手を合わせる。

じーちゃんの姉ちゃんの葬式も、梅のおばちゃんの葬式も、西田のおばちゃんより距離が近い存在のはずなのに、涙が出るほど悲しくはなかった。

それなのに西田のオカンは、すごく悲しかったんだ。なぜかすごく悲しかったんや。

悲しかったし、感謝してる自分がいた。「残念だ」という声と「ありがとう」という声が、何度も自分の中でこだまする。

ありがたいと思った。
ありがたいと思えた。
ほんとうに。

小学校3・4年の、きっとおれにとって大事な時期に濃い記憶として残るほどの楽しい関わりをしてくれたことにありがたいと思えたんだ。

心から感謝してる自分がいて、そこそこ深く悲しんでる自分がいて、おれめちゃ泣いてるなあ、と客観的に観てる自分もいた。

しばらくしてから西田に話しかけた。

「残念やったな。ええオカンやったな。」

西田の肩をつかみながらそう伝えた声は思わず涙で上擦ってしまう。西田もおれにつられて泣いた。

西田から直接、オカンの最後について聞いた。心配かけるのが嫌だから、という理由で、西田でさえ去年の年末までガンだと知らなかったこと。鎮痛剤しか使わずに延命しないと決めたこと。亡くなる5日前まで元気そうに話してたこと(元気なわけないのに)。そのエピソードのすべてが西田のオカンらしくて、おれは改めてやっぱり西田のオカンすげーひとやなと思った。

棺桶の上に、花束と並んでタバコが一本だけ置かれていた。どうやら西田のオカンの飲み友達が置いたらしい。なんで箱じゃなくて一本だけ置いたんかな?と思ったら「とりあえずあっちでも吸いー」という飲み友達なりの気遣いらしく、西田のオカンの人柄やプライベートでの関わり方がその話ひとつでなんとなく見えた気がした。

しばらく雑談してから帰ることに。西田は変わらずひっきりなしに来る参列者の対応をしていた。西田のオカンの性格から想像するに、きっと葬儀場に参列に来る人のほとんどが西田にとって初対面だろう。

そんなひとりひとりとの「はじめまして」を西田が丁寧に繰り返す姿を見ながら、おれは心の中で強く思った。

がんばれ。
がんばれ。
西田、がんばれ。

こういうときに友達として出来ることは何もないけど、出来ることがあるならしてやりたいといつも思う。

今の自分があるのは、今この瞬間のおれが「これまでのすべての出会いと出来事で出来ている」という感覚を強く持ってるからだ。だからおれは多感な時期にいい影響を与えてくれたオトナの一人として西田のオカンに感謝しているんだと思う。

ありがとう。
ありがとう。
西田のオカン、ありがとう。

あなたの人生について、ぼくはほとんど知りません。でもそれでも本当にありがとうございました。あの楽しかった記憶はぼくがあなたの歳になったとしてもきっと色濃く残っていることでしょう。

あなたは間違いなく、ぼくがいまこんなことを考えているなんて、夢にも思っていないでしょうが、人生には得てしてそういうことが起こりうるものなんです。

自分が意図してなくても、自分にとっては当たり前だったとしても、誰かに向けた優しさや愛情の種が、時を超えて人知れず花ひらき、咲き誇ることだってあるのです。

もし次も人間に生まれたなら、ポテチとチーズと、酒とタバコを愛し、潔く死にゆく人間としてまっすぐな「純子」でいてくださいね。

それでは良い夜を。
またいつか、どこかで。

2025/09/19

POLO

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大切なものに愛情を注げる人に来て欲しい。
私たちはやりたいことだけやってる会社だけど
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誰かの役に立ちたいといつも願ってるから。

そういう感覚が当たり前のひとに来て欲しい
何をやるかと誰とやるかはどちらも大切だから
仲間にするなら愛のあるひとがいい。

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