GOODLIFE

【0012】シリアスな人の話

シリアスに生きてる人が好きだ。

そもそも
シリアスって言葉自体が
日本ではあまり一般的でないけど
イメージとしては

「必死に」
「愚直に」
「真面目に」
「まっすぐに」
「ストイックに」

そういう言葉たちの総称であり
そういうニュアンスで
個人的によく使ってる。

今にはじまったことではないけど
WBC観てて大谷くん好きやな~
と思う。

それは彼が
結果を残してるからではなく
結果を出すまでのプロセスが
「シリアスな生き方」そのものだから。

シリアスな生き方をしてる人は
みんなストイックに見られる。

「なんでそこまで努力するの?」

とトンチンカンな
質問をされることも多いが、
本人は当然、
ストイックなつもりなんてない。

ただ自分の目指す
「在りたい姿」に向けて
毎日
毎日
毎日
毎日
毎日
毎日
毎日
やるべきことを
淡々と積み上げてるだけだ。

それはシンプルに
「やりたいから」やってるし
「やりたいから」できることで
当たり前のことをやってるだけ。

日々、真剣勝負してる。
他でもない自分自身と。

そう。
シリアスな生き方の人はまず、
自分の中に明確で具体的な
「在りたい姿」を持ってる。

そして
そこに向けて生きてるから
他人の評価は気にしてない。
というか、どうでもいい。

絶対評価の中で
人生を生きているからこそ
高みを目指し続けることができる。

大谷くんであれば
きっと彼の心の中に
「理想の野球人とは?」
みたいな問いがずっとあるんだろう。

間違いなくそれは
彼の中で言語化されてる。

そんな言語化された
「在りたい姿」を目指して
日々、生き続けてるからこそ
大谷くんは結果として
「シリアス」になったんじゃないかな。

シリアスに生きる人を見て
相対評価の人生を生きる人は
口々に言う。

「大谷くんだからできた」
「才能があるからできた」
「生まれ持った天才だ」

ちがうちがう。
見当違いも甚だしい。

相対評価さんたちは
「才能」という便利な枠に
カテゴライズするのが大好きだ。

そうすることで
自分と比較しなくて済むから。

あるいは
相対評価さんたちは
大谷くんがすごい理由を
出した結果にしか見いだせない。

なぜか「目に見えるもの」しか
信じることができないから。

彼がすごいのは日々の
ルーティンの中にあるのに・・・。



だけど
たしかにすべての人が
大谷くんになれるかと言えば
きっとそうでもなくて。

たぶん
在りたい姿を描ける
シリアスな生き方してる人たちの
根本的な源泉にあるのは
「飽くなき好奇心」なんだと思う。
それは「飽くなき探求心」に進化する。

才能があるとか能力があるとか
それはあくまでも「種」に過ぎない。

その種が育つかどうか
最も重要なカギはそこだと思う。

そしてそんな
「飽くなき好奇心」を育むのは
親の教育と幼少期の環境。

そう考えるとやっぱりさ、
幼児教育って大事だよね。






とはいえ、
そもそもシリアスな生き方なんて
この先の世界では不要になる。

ほとんど多くの仕事を
AIとロボットが代替するからだ。

でもそれと同時に
受け身で生きてる人たちは
生きる意味を見出せずに
自殺する人も増えるだろう。

それは
シリアスな人たちが
日々当たり前に向き合ってる、

「なぜ生きるのか」
「どう生きるのか」

という人間としての
そして人生における根本的なテーマに
誰もが半強制的に向き合わないと
いけなくなるからだ。

 

シリアスに生きたいと願う。

「なんでそんな必死に生きてるん」
とツッコまれ続ける人生を生きたい。
少なくとも30代の今は。

もっともっと
一生懸命生きたい。
まだまだ足りてない。
まだまだ努力できる。

もっと前に
もっと先へ。

自分の可能性を信じてる。
きっとできると信じてる。

だから
どこまでいけるのか
挑戦したいんだ。

大谷くんは野球を通して。
おれはこの会社を通して。

共にシリアスに生きよう。

必死に真剣にまっすぐ生きる。
こんな楽しい生き方、他にはない。
そういうことを自分の在り方で示す。

「人生をつくる」ってそういうことだ。